詳細プロフィール

漆畑 文哉(うるしばた・ふみや)

フリーランスの学びのデザイナー(科学エデュケーター/科学コミュニケーター)

専門は科学教育・学習科学。人生をかけて成し遂げたい目標は、誰もがワクワクしながら深く学び、より良い未来の選択ができる社会をつくること

幼少期

1986年、静岡県静岡市に生まれる。その後、静岡県浜松市に移り、幼少期を過ごす。

子どもの頃は水泳三昧。器用さと持久力の高さから、選手人口の少ない200m背泳ぎと400m個人メドレーを得意とする。県大会まで出場するものの、冬季の練習ができる環境がなかったため、高校時代に引退。

高校では生物と倫理だけずば抜けでできたが、進路選択の役にはあまり立たず、大学受験では農学部や芸術学部など色々受験。学費の安さと実家から近いという安直な理由で、愛知教育大学教育学部に進学してしまう。どの教科も得意とも不得意とも言えなかったが、ほんの少しだけ理科が得意だったという理由で、理科専攻を選ぶ。

青年期

大学が教育学部しかないため、周囲が学校の先生を目指す意識の高い人たちばかり。一方、アルバイトしていた飲食店には、いろんな文脈の人たちが集まり、接客や料理を学ぶ中でコミュニケーションのいろはを習得。自分は教員に向いていないと思い、一般企業への就職を考えるものの、リーマンショックにより学校教員の選択肢しかなくなってしまう。

青年期に3つの転機が訪れる。

1つめは、大学4年で理科教育学研究との出会い。教授と学習の複雑さ、教授観や学習観など複数の認識に触れ、科学の学習の深さを知る。2つめは、教師1年目に起きた東日本大震災。学校文脈を超えた、科学教育や科学コミュニケーションの必要性を感じ、人生の目標の基盤が形成される。3つめは精神疾患との出会い。150時間を超える残業で、一時心を病む。給与と同等かそれ以上に、健康と自分が生きていられる時間の価値を知る。

ワークスタイル

科学エデュケーターとして

大学を卒業後、最初の7年間は理科の教員(科学エデュケーター)として、国公私立の小学校・中学校・高等学校(物理・化学・生物、全日制・定時制)・専門学校と、6〜20歳までの学齢期と学習範囲の理科授業を6000時間以上携わる。

観察・実験など充実した体験の機会を担保するのはもちろんのこと、科学的なものの見方や考え方が身につくよう振り返りや対話など、子ども一人ひとりの学習状況に合わせて学習科学に基づく授業をデザイン。途中で大学院に進学し、理論と実践の往復しながら成果を広く公開し、実績を積み上げる。

また、保護者と協力しながらこどもに寄り添い30人以上の不登校生を学校生活に復帰させたり、理科室だけでなく学校図書館からも学習環境の改善に努め、5000冊以上の蔵書を1人でデータ管理化するなど、授業以外の業務も地道に行い、信頼を獲得する。

ワークスタイル
ワークスタイル

科学コミュニケーターとして

一方、2011年に起きた東日本大震災をきっかけに、子どもだけではなく大人も社会と科学技術との向き合い方を考え、より良い未来の選択に寄与したいという思いが強まる。

7年の教員生活の後、国立研究開発法人科学技術振興機構 日本科学未来館の科学コミュニケーターとして、企画や広報の業務に従事。科学館の常設展で就学前時の子どもから高齢の方まで、さらに幅広い年齢・国籍・文脈の方に先端の科学技術や社会についてわかりやすく伝えています。常設展の実演は年間100回以上行う。

さらに、大学や研究機関の研究者とともに一般の人と話をするトークイベントを企画し、運営やファシリテーターを務める。また、講談社ブルーバックスや科学雑誌ニュートン、共同通信などのネットメディアからマスメディアまで各種媒体で科学情報を発信する。

ワークスタイル
ワークスタイル

研究者として

時代の変化が激しい21世紀は、子どもはもちろんのこと、大人もずっと学び続けることが必要だと言われる。ただし「必要」というだけでは何をどのようにしたらいいか、簡単には分からない。

私はこれまでの教授・学習の研究で得た知見と、実際に出会ってきたさまざまな年齢・文脈・思想やつまずきを持った人と共に歩んだ経験を積み上げてきた。どんな状況でも、誰でもその人に最も適した学びの環境をつくり、具体的に支援することができる。

しかし、果たしてその実践が本当に学びに貢献したのか。人はいかに学ぶのか。学習をクリティカルに捉えるために、研究も継続している。常に教授と学習、コミュニケーションの科学的知見をアップデートし、実践のデザインに取り込み、理論と実践を繰り返している。

さいごに

誰もがワクワクしながら深く学び、より良い未来の選択を導くことができる社会の実現のために、これからも学びのデザイナー(科学エデュケーター/科学コミュニケーター)として従事していきたい。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

漆畑 文哉